【年長児さんのお母さん(すぎぼっくり歴2年目)】

長女の入園を決めた当初、すぎぼっくりに抱いていたのは「大自然の中でおもいっきり遊ばせてくれるようちえん」というイメージでした。もちろんその印象は間違ってはいませんでしたが、この1年半の通園期間は、それだけでは到底表現しきれないたくさんのものをわたしたちにもたらしてくれました。いますぎぼっくりの一番すばらしいところを挙げろと言われれば、こどもたちが自分の力で成長しようとする本能を妨げないこと、そのために大人がするべきことと「するべきでないこと」の境界線を見極めることに全力で取り組んでくれていること、かなと思います。とてもシンプルなことですが簡単なことではありません。こどもたちを本当に信頼していなければできないことですし、こどものことを大事に思えば思うほど困難が伴います。この困難なタスクに挑んでくれるすぎぼっくりスタッフたちを信頼して、そして我が子を信頼して、わたしたちは毎朝こどもたちに手を振り森の中へと送り出すのです。親にとっても子にとってもかけがえのないこの経験は、こどもを保育園に「預ける」こととは全く質の異なるものです。かといって親が直接こどもと向き合うだけでも決して得られないでしょう。こどもの成長にとってかけがえのないこの時期にすぎぼっくりに出会い、内なる力を存分に発揮して成長する我が子の生き生きとした姿を見ることができて、幸せです。

 

【年長児さんと2歳児のお父さん(すぎぼっくり歴3年目)】

自然のなかで伸び伸びとすごす 森のようちえん。日本でも広まってきていて、全国各地に増えてきていると思います。鳥取県智頭町の自然が素敵なことは僕が言うまでもないですが、確かに他にも素晴らしい自然環境はたくさんあるように思います。では、いったい森のようちえんすぎぼっくりの魅力は何なのだろうと考えてみると、
やはりそこは「人」なのかなと思います。スタッフの方々、また保護者のみなさんが「仕事」の垣根をこえてつながっている。保育や育児を真剣に考えている一方、良い意味でチカラが抜けているというか、自分たちも子どもたちといっしょになって楽しんでいるように思います。大きすぎない規模感も特徴的で、子どもたち同士が仲がよいのはもちろんのこと、僕たち親やスタッフさんとのつながりも深いように感じます。
システマチックにここからここまでが保育の時間、これをやれば大丈夫、、、みたいに決めつけずに、
その時その時で柔軟に変わっていく「軽やかさ」と子どもたちひとりひとりを(本当の意味で)深く見守る
「あたたかさ」が印象的です。年少からお世話になってる長男も最後の1年の年長さんに。
と、同時に弟も4月から通うようになったので、兄弟二人でかけがえのない時間を過ごしているように深く感じるのは、こういったすぎぼっくりならではのことかと。

 

【年長児さんと2歳児さんのお母さん(すぎぼっくり歴3年目)】

すぎぼっくりは子どもだけでなく、親も共に一人の人間としてその人らしく育つ場所だと思います。
喜びだけでなく悩みや様々な問題も、すぎぼっくり全体で共有してみんなで一緒に考えることができます。私たち家族は子どもの育つ環境を考えて、智頭に移住してきました。自然豊かな場所、またそれを生かした自然保育に惹かれたからです。たくさんある自然保育団体の中で、なぜすぎぼっくりなのかと言うと、園長の人柄、その一言に尽きると思います。そしてその人柄に惹かれて集まった仲間たち(スタッフや保護者家族)が、楽しいこと、優しいこと。毎日のお散歩を通して、子どもたちは自然について五感を使い学び、お友だちとの関わり方について当事者同士で考えたりします。そしてそれらはスタッフや保護者の辛抱強い見守りによって、一歩ずつ成長しています。すぎぼっくりは真面目に泥くさく人が人を育てる、そんなようちえんだと思っています。

 

【年中児さんお母さん(すぎぼっくり歴2年目)】

息子が森のようちえん、すぎぼっくりに通って一年と半年が過ぎました。毎日元気でのびのびと、それでいて、たくさんの喧嘩や仲直り、話し合いに共同作業、助け合い、討論&解決、お料理したりナイフを使ってみたり。
大人の余計な指示はなくとも、子供たちは自分達で考える。そこに個々のオリジナルの成長がある。それぞれ違う目線で、全力で遊んで過ごせているんだと思います。息子は園舎のない毎日はもう慣れっこで、自然の中で過ごす事が普通でなんの違和感もなく、これから到来する雪の日々が待ち遠しいとのこと。たくさんの動植物との出会い、坂道でこぼこ道、雨降り雷、川のせせらぎ、風の強弱・・・自然の織り成す世界を無意識に、でも確実に感じて遊ぶ。やっぱりコレってすごい大切な事だなぁと。
息子はこの一年半で、体力も知恵もついて、さらに得意な石投げの飛距離やコントロールはすごい。
そしてさりげなく人を助けることも出来るようになっているようで。これからどんな日々を過ごしていくのかな?母は楽しみです!子供の成長期&森のようちえんで関わった刺激、この二つが相まって、我が子の成長は、とてもしっかりとした基盤を作れていると感じています。
ps. 母親同士の繋がりもとても素敵です。今年も私はそれをすごく感じました~!!

 

【年少児さんお父さん(すぎぼっくり歴1年目)】

「子供にとって、大人は有害である」 尊敬する絵本作家、五味太郎さんの言葉が、三歳になった息子と過ごしているうちに理解出来るようになった。つい口をつくのは「ダメ、危ない、やめなさい」であり、子供の自主性を重んじて、ただ見守ることを理想としていたはずなのだが、散歩の途中で用水路にハマって遊ぶ息子に何時間も付き合っていられず、何でもやりたがるのは良いと思っていても夕食の支度を邪魔されたくないと思ってしまう。大人の都合と器の小ささは、感受性豊かな子供を押さえつけようとして、まさに有害だと落ち込んでしまう。仕事の都合などですぎぼっくりには入園式と薪割りくらいにしか参加出来ていないが、妻や園の方々、本人から様子を聞いて想像するとワクワクする。毎日、水のある所を見つけると着替えまでビショビショにして遊び、お腹がすけば朝の会の途中でも早弁し、昆虫を見つければ朝の会に誘われても昆虫のお家作りに没頭する。その全てに、誰からもダメと言われない。書いていて涙が出そうなくらい理想的な環境だと思う。いつでも、やりたいことを全力でさせてもらい、全身で楽しんでいるからだろうか。人見知りで知っている人でも大人と見れば親の陰に隠れていた息子が、散歩中に見知らぬご老人に自分から声をかけていた。いつの間にか私より社交的になっている。森のようちえんの子供たちは知っている限りみんな人懐っこいが、たまたまではないようだ。森と自由には人を開放的にする力があるのかも知れない。すぎぼっくりで子供を見守っていただいて、子供があっという間に大きく成長し、子供を通して私も成長させていただいている。ダメと言って何でも自分でやってしまえば早いが、最近では毎朝息子が自分で果物を包丁で切っているのを見守っている。切り方は大人から見ればメチャクチャだが、本人は満足そうに全て平らげる。包丁が危ないことぐらい、すぎぼっくりで週に一回クッキングをしている本人が良く分かっている。ちゃんと果物を押さえながら、何かを考えて切っているようだ。火は危ないから絶対にダメだと思っていたが、薪に火をつけようとするとマッチを擦りたいと言ってきた。すぎぼっくりでやっているのかなと思ってやらせてみると、着火点の近くを持ちすぎてアッツイ!と驚いていた。危ないといってもこれだけのことだったのかと我ながら情けなくなる。火遊びは危ないが、火の熱さを身をもって知っていれば、遊ぼうなんて思わないのかも知れないし。すぎぼっくりは森で子供を遊ばせてくれる所だと思っていたが、そんな簡単なものじゃなかった。見守るということは子供から溢れ出る物を最大限に溢れさせてくれて、大人も成長させてくれる。失礼な言い方になってしまうかも知れないが、すぎぼっくりで見守ってもらうことにはお金を払う価値がある。親が満足する為にどこぞの園でお遊戯を習うことより、英会話を習うことより、子供本人がやりたいことをやりたいだけやらせてくれることにこそ、お金を払う価値がある。妻の方は、横浜に居たころは子供が出来てから周囲との価値観の違いに戸惑っていた。予防接種や食べ物や教育、以前の友人たちとも価値観がずれてきてしまっていたようだったが、すぎぼっくりでは価値観の合う保護者がほとんど。多少の意見の違いがあっても、相手の気持ちを尊重してくれる方が多い。だから、自分の思いを隠さなくていいし、思ったことがあれば口に出しやすい。その環境のせいか元々冷めた性格でお祭りに参加するタイプではないと思っていた妻が感謝祭の実行委員になった。思うところのあった感謝祭に思いをぶつける為だった。感謝祭は中止になったが、ハッキリと意見を出せる場に参加したことにとても満足していた。そうやってお母さん方と話すのが楽しいのだろう、母ぼっくりの会からの帰りが夜中になっても仕方ないさ。妻もまた、すぎぼっくりに関わらせていただくことで大きく成長している。「横浜に居た頃は何となく生きていたけど、智頭に来てから生きるのが楽しい」移住者の集まる会で妻が言った言葉が、全てを物語っている。私もすぎぼっくりから繋がるご縁でどんどん楽しいことが増えている。

 

【年長児さんお母さん(すぎぼっくり歴2年目)】

昨年9月にすぎぼっくりの一員とさせてもらってから、およそ1年が経ちました。
第一子から数えたらすでに20年も子育てをやっている私ですが、11年ぶりに第三子に恵まれたとき「ぜんぶ忘れてる。またイチからだ」と思いました。一から子とぶつかり合い、周りの母親と励まし合う、「共育ち」のようなもの。あのしんどさと喜びをまた味わうという、げんなりするような、ワクワクするような期待がありました。
結論から言うと、すぎぼっくりには、私が長年追い求めてきた「共育ち」が成り立つ要素のすべてが詰まっています。移住前に生活した東京、横浜での子育ては実に実に充実したもので、たくさんの考え方、働き方、ライフスタイルに触れ、ディスカッションし、助け合い、手も口も出し合える仲間と手を取り合う、まさに「共育ち」の日々でした。あれほど走り回っていたのに、子供と向きあえる時間などほとんどない中でも子供たちがへこたれずに育ったのは、親たちが手を取り合って創意工夫を重ねたからだと考えていました。いま思えば、私も周囲の親も仕事に追われるギリギリの生活を強いられていました。鳥取に移住し、すぎぼっくりの職員、親と関わりながらすごすうちに、子供との毎日が「風景」に感じられます。この人たちが大きくなったらまた子供が走り回って、そのとき面倒見れる人が世話をして、だっこできる人がしてあげて、気づいた人が声をかけてあげて、親が知らないことでも、代わりに誰かが耳を傾けてあげる。ここには考え方の違いよりももっと、何か大事なことがあるように思います。ここに来たら、すべてをオープンにするしかないような気分になります。正直に生きるしかない、カッコつけても意味がないことを周囲が教えてくれます。綺麗事ばかりじゃない、汚物も排泄物も存在する風景にこそ本当の美しさや力強さがあること。本来は子供と過ごすってそういうものなんだと思い出しました。
最後に、ここに来て子育てをしようとするなら「生活のため」「現金を稼ぐため」の仕事で生活をいっぱいにするのはちょっともったいないです。すこしくらい風通しよく、懐がスースーしていても、なんとかなります。助けてくれる人に次々出会えます。正直でいること、オープンになること、どうしたらそうなれるかは、すぎぼっくりのスタッフと保護者、なにより子供達を眺めていればわかります。

 

【年長児さんと年少児さんのお母さん(すぎぼっくり歴1年目)】

すぎぼっくりに入園させてもらえることになり、2016年春より年長さんと、年少さんに入園した2児の母です。智頭に引っ越してきてから、山の上の方へ暮らしていますので、最初は近所も山なので、森の幼稚園も日常と変わらないんじゃないか?と思っていましたが、入園してからというもの、毎日ハツラツとしていて年長のAちゃんは体力が元々ありましたが、さらに運動能力が高まったように思います。お友達もたくさんできて、じぶんのことはじぶんでする。下の子のお世話もできるようになりました。お昼寝もしなくなり、とにかく外が大好きで、帰宅後は大満足!というかんじで7時30分~8時には床につきます。毎日が遠足のようで羨ましいです。集中力もついたように思います。最近は最初から最後まで自分でぬいぐるみをつくっていました。2時間集中していました。
年少さんのYちゃんは長い間歩いたり、外で遊ぶことが苦手でしたが、入園してからは自分のリュックを背負い、長い間歩けるようになりました。外遊びも好きになりました。毎週のクッキングでも、何度か包丁で手を切りながらも、包丁の扱いや、緊張感をもってお料理ができるようになりました。森で遊んで生活することで、水の大切さ、火の大切さ、生き物の大切さを体感し、子供たち一人一人が肌で感じているように思います。
さむ~い日も あつ~い日も きもち~い日もありますが、子供たちは毎日 「いってきま~す⭐」とでかけ、顔を真っ黒にして帰ってくる姿が、なんだか誇らしく思えてきます。とにかく森の幼稚園は子供にとって家では体験できないことを体感し学ばせてくれる素晴らしい園だと実感しています

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