親のまなざし④

すぎぼっくり便りアーカイブ
【2014.11月号】

すぎぼっくりの保護者さんが独身時代に海外青年協力隊での経験を経て、
感じたことを書いていただきました。

「足りるを知る」

2年半のウガンダ生活を終え、日本に帰って来た私には色々な逆カルチャーショックがありました。
その一つが「モノ」の多さです。その日私は、3歳になる姪っ子に会うのに、彼女に喜んでもらおうと、以前お菓子についていたキラキラリボンをプレゼントに用意していました。ウガンダ感覚の抜けていない私には喜ばれる自信が1200%あり、彼女のキラキラした笑顔を期待して、どうだ!とばかりにリボンを差し出したのですが、彼女にあっさり「…いらない」と断られてしまいました。大ショック!何なら私が髪に飾ろうかなとさえ思っていたキラキラリボンをいらないだなんて。今思えば、そんなものは日常にあふれたモノの一部であり、喜ばれるプレゼントではないことは分かるのですが、あの時の私には本当に信じられない反応でした。そしてその時の感覚を忘れたくないなと思うのです。

ウガンダでの生活は本当にシンプルなものでした。電気も水道もガスもない。部屋には少しの食器とお鍋と洋服。子どもたちは裸足で走り回り、大人の娯楽といえばラジオとおしゃべりでした。紙、箱、紐など日本にいると本当にあふれ出るゴミになっている品々は中々手に入るものではなく、貴重品として繰り返し使われていました。そんなシンプルな生活は決して貧しい思いと直結するのではなく、むしろ私に「満ち足りる喜び」を教えてくれました。きれいな箱を手に入れた時のワクワク感、たまに食べるお肉や卵の震えるような美味しさ、温かいお湯で体を洗う天にも昇る気持ちよさ。足りない生活は人生の幸福度を確実に上げてくれました。日本に帰ってきて約2年。最初はモノに溢れた生活に日々喜びを感じていたのが、次第に違和感を覚えるようになり、今となっては当たり前になってしまいました。そして残念ながらそれに比例するように私の日々の幸福度は下がっていってしまった気がします。大人も含め、「足りない」経験は今、意識しないとしにくいのかもしれません。得る喜びよりもないモノへの執着が勝ってしまいがちなのかもしれません。ないものから数えるのではなく、今あるものに感動し感謝する。そして本当に必要なモノはほんのわずかである。ウガンダから教えてもらったことを忘れずに生きていきたいなと思います。

  

 

まなざし | 空のしたひろば すぎぼっくり (sugiboccuri.com)

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