園長のぼやき

つぶやき①

森のちから こどものちから
~園長熊谷の呟きコラム~

 

【2014.8月号】

入園式から1ヶ月が過ぎ(この年は入園式が6月でした)子ども達の気持ちも少しづつ落ち着いてきました。
男の子が一気に増え戦いごっこがヒートアップして喧嘩になってしまったり、叩かれて泣くことも多々発生!しばらく様子を伺いながら、子ども同士の関係作りを観察してきました。結果、仲間への手加減や力関係が分かってきたようで、7月にはいると家族ごっこや病院ごっこなど、ゆったりとした遊びも増えてきました。また、10人の塊が岩の上で空想の世界を造り続け話し込む姿は、まさに子ども社会を象徴させる面白いものでした。一人一人の個性が絡みあい、枝や葉っぱで様々な発想を展開していく。見守る保育だからこそ見られる、子どもらしい姿だな~としみじみ嬉しく感じました。

すぎぼっくりの方針でもある「保護者さんもこども達と一緒にお散歩をしながら森を感じる」という子どもとの関わりで「見守らなければ…。でもどうやって?」と悩まれる方も少なくはないと思われます。自分の子が寄ってきたらその距離感は?「やって~」とせがまれれば無視も出来ないし…。
実際、毎日子どもと接しているスタッフの私達でも関わり方で反省反省の連続。
見守り方や関わり方で悩むことがいっぱいあります。

私がお伝えしたいことは、森での時間は大人が与えることをしなくても、子ども自らが考えて行動することを大切にいて欲しい、という事です。大人がいれば「やって~」「とって~」「して~」と、自分で出来ることも甘えて要求してきます。毎回それに応えてしまうと‘やってみよう!’という意志が削がれてしまうこともあります。例えば、美味しい木の実がたわわに実ったこの時期、子ども達は手にとって食べることに夢中になります。しかも無料で食べ放題!こんな嬉しい体験は他にありません。しかし、簡単には採れないことも多々あります。桑の実を見つけると子ども達は「京ちゃん、とって~!」と当然のようにねだってきました。残念ながら、私は親切な大人ではないので「京ちゃんもいっぱい食べたいから自分でとって食べる~」と応えました。すると、子ども達は葉っぱを引っ張って手をのばしてみたり、棒で葉っぱを叩いたり掴もうとしたり木に登ったり…いろんな知恵を振り絞って時間をかけて考えていました。
中には、すぐに諦める子もいました。
 去年の話ですが、柵に登ってむかごを採ろうとするKくんを周りの子が落ちないように支えたり、お尻を押してあげたりと懸命に協力し、知恵を出し合って頑張って採っていました。また、桑の実を、どうしても食べたいRちゃんは、持っていた傘を枝にひっかけどんどんと収穫、執念の結果お弁当箱に沢山詰めて最高の笑顔で味わっていました。どちらとも、すべて大人が簡単に採ってあげたものであれば、味も違っていたかもしれません。自分で成し得た最高の達成感は、大人が手を出さず見守ることで得られるものだと思います。

それでも、保護者さんのなかでは「子どもが困っていたら大人が助けるべき」と思われる方もおられるかもしれません。幼いから今出来ないことでも、「いつかやってやる!」「Rちゃんみたいになりたい!」という気持ちにさせる事も大切なことだと思います。
例えが極端かもしれませんが、自然界の動物は、幼い子どもに狩りを教え、生きてゆくための力を育てます。人間の場合は、親がどうしても我が子の為に、なに不自由のないよう出来る限りのことをしてやりたいと思ってしまがちです。時には、子どもの為という理由で親の自己満足とも言いかねない場合もあります。

子どもは生まれながら、苦難を切り抜け乗り越えられる野性的本能を持っていると思います。その力を発揮する為にも、子ども自らが考えて行動することが不可欠なのではないでしょうか。子どもを信じて見守ってくれる大人が側にいること、そして自然の中だからできることがあるのではないでしょうか。そんな眼差ししを向けることで、家庭とは違った新たな子どもの姿が見えてくるのかもしれませんね。

遊びを与えるのではなく、子どもがどんな遊びを創って行くのかを観察する。
やってあげるのではなく、どうしたら出来るのかを一緒に考える。
甘えてきたらおもいっきり甘えさせてあげて、こどもの気持ちが満たされたら大人から離れていく。
そんなお散歩を一緒に楽しみませんか?

 

 

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP